ボス・増永哲男

小林岳丸 1993.01

   今回の公演のディレクター増永哲男はビデオテクニカの代表であり、文字どおり我々のボスである。彼を一言で絡介するのは不可能だが、あえていうなら「とにかく非常に強烈な個性の持ち主』である。あまりにも強烈な主義主張を持っている為に摩擦を生じる事もあるが、一度理解されればとことん共感をもたれるタイプである。時に理解するのが非常に困難なことがあるのも事実だが、ここにには書けない。

 今でこそ東欧諸国は自由化が進み、社会主義時代に比ぺれば訪間する事はかなり、いや非常に楽になった。しかしつい数年前までば西側諸国のジヤーナリストにば閉ざざされた門であった 。チャウシェスク政権下のルーマニアで、少数民族の村々をまわって撮影を続けている不審な外国人として秘密警察の尋問取り調べを受けた話などは何度聞いても冷や汗ものである。そのチャウシェスク政権が倒された時も増永ばいつものようにクリスマスの取材のためトランシルバニアの村の中にいた。村人と共に流血草命を内側から見つめていた 。新聞記者もテレビカメラも事件が起きた後に取材に出かける。日本でもずいぶんと報道されたが当然どれも今一つビンとこなかった。しかし彼らの生の声を聞いていたボスからの話からは、マスコミの報道などからは想像もつかない諸問題の裏の顔を知ることができた。もっともこの時期ばかりは徹夜で二ユース番組を見続けてボスの安否を気遣わねばならなかったが・……。

 それほどまでして東欧緒国へ通い続けてオリジナルの民族舞踊を求めて取材記録を続けている。何のために。三度のメシより好きな本物の踊りがそこにあり、そしてそのすばらしい踊りを毎日の生活の一部として暮らしている愛すぺき人たちがいるから。イースター、結婚式、クリスマスから新年にかけてと村の人々が踊りに打ち興じる時期、ボスの姿は日本には見られない,毎冬雪と氷の道を村から村へと車を走らせて新年を迎える。あたかも村人の一人であるかのように何の違和感も無く人々の間に溶けこんでいる彼の姿に永年の実績とその重みを感じる。

 7、8、9月とステージ・レポート部門は国内の発表会シーズンでてんてこまい。クラシヅクバレェ、モダンバレェ、ジヤズ・ダンスに日本舞踊と我々留守チームが日本でステージ舞踊の撮影に編集にと追い回されている頃、我らがボスは一人悠々とハンガリーにスロバキア、ユーゴスラビアにギリシヤ、ポーランドとフオ一クロールフエステイパルを撮影し 、その間にトランシルバニアの村々に遊ぶ。そして我々ば大好きなフオークロア・ダンスに関する土産話を首を長くして待ち続けるのだ。こうした長年の積み童ねの中で現地の村の人々と親交を深め、その踊りに魅了され数多くのプロフェツショナルの舞踊団、そして優秀なアマチュアのグループやそのディレクター、コレオグラファーたちと知り合い、ついに昨年(1992年1月)のルーマニア国立トランシルバニア民族舞踊団の日本公演を実現させた, 現地の優秀な舞踊団による、できる限り村の踊りに近いステージを 、日本の舞踊愛好者の方々に生のステージで見ていただきたいというフォークロールレポートの新たな活動のスタートである。

   既成の舞踊団のステージ・バレェ化されたプログラムを日本にもってくるのでは気が済まず、複数の舞踊団から優秀なメンパーを集めて新たに来日公演舞踊団を作ってしまう。既成プログラムの中の不適当な部分を片っ端から措摘して、極カ村のオリジナルに近い形の踊りに構成し直させる。こんなにうるさい招聘責任者はいまだかつて見たことも聞いたこともない。その作業の底に流れている「村の踊りへの限りなき熱い思い』と、現地の舞踊関係者をも納得させてしまう知識の豊富さに改めて敬服させられる。

 スロバキア国立民族舞踊団の日本公演に先立って公開された当地での試演公演はその全体構成の完成度が非常に高いことに対して政府、報道、舞踊関係者に絶賛された。その構成シナリオを書いたのは我がボス増永であることはいうまでもない。皆さんにも理屈抜きで楽しみ、そして感動して項けるものと信じて疑わない。お話ししたい裏話は星の数ほどありすぎるので機会を改めることにしよう。ただ一つだけ、ボスを筆頭にスタッフー同踊りをこよなく愛し、踊りが好きで好きでたまらないがゆえの踊りの撮影であり、それが高じての舞踊団の来日招聘であることをご理解いたたければ幸いである。1993

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