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ルチニッツァ

 

フォークロールレポーター 増永哲男

 チェコとスロバキアが円満に分離独立した93年からチェコは合理的に確実に、スロバキアはゆっくりと流れに任せて経済発展しています。この両国では民族舞踊も違っています。チェコはブラスバンドでビールを飲みながらポルカを踊り、スロバキアはワインを飲みながら弦楽器の奏でる音楽にのせてチャルダッシュを踊ります。
 スロバキアには4つの国立舞踊団があります。スロバキアの歴史から民族的に3つ分けられます。スロバキア民族系SLUK(スルク・93年来日)とLUCNICA(ルチニツァ)、ウクライナルシン系PLUS(プゥルス)とハンガリーマジャール系IFJUSZIVEK(イフユシベク・93年来日)です。このうちのSLUKは純プロフェッショナル舞踊団です。他3舞踊団は民族政策の中から誕生いたしました。PLUSは東スロバキア・プレショフに本拠を置きプロ化へと進んでいます。LUCNICAとIFJUSZIVEKはブラティスラバ市街中心地にあり、良き兄弟となっています。
 ルチニッツァ民族舞踊団は1948年ブラティスラバで誕生し、1970年大阪万博以来、四半世紀ぶりの来日となります。スロバキア国内の圧倒的な人気、海外公演では各国からの最大級の賛辞と評価からなる実績を誇ります。ブラティスラバ芸術舞踊大学(毎年入学定員12名・内訳:コレオグラフ科2名舞踊教育4名バレエ3名バレエ教育3名)民族舞踊科教授ノサ・ステファン氏および助教授バルガ・エルビン氏の指導のもと、主にその大学で学ぶ18才から26才の若さ溢れるダンサーで構成されています。ミス・チェコスロバキアも度々この舞踊団の中から選ばれるほどの美男美女の舞踊団でもあります。団への平均在籍期間は大学在学中の4年であり、卒業後は各地の学校・民族舞踊団または各界の中堅として活躍している様子は、国内での圧倒的人気も理解できます。定年までプロダンサーを務めるSLUKと対照的です。
 民族舞踊指導者の多くはこのルチニツァから育ち、スロバキアの舞踊を長年にわたり日本に紹介しているバルガ・エルビン氏(ルチニツァ在籍ダンサー歴12年はルチニツァ史上最長を誇る)はその代表といえます。
 幾世代のファッションにも通用するベーシックな民族衣装は東ヨーロッパのセンスを感じさせます。また、ひとつひとつの踊りのしぐさに娘の可愛いさが滲み出て、その瞬間の残像がいつまでもあなたのまぶたの奥に残ります。可憐に踊る娘たちと、スピードとテクニックを軽快に披露する若者たちの、若さに溢れ、パワーみなぎるステージは爽やかに私たちを魅了します。
 プログラムAはルチニッツアの代表的なレパートリーで、プログラムBは「遊び・仕事・恋」(糸つむぎの娘たち・結婚式等)をテーマに構成され、特にBプロは民族舞踊の柔軟性に富んだコレオグラフ(振付構成)の傑作集となっています。プログラムCは民族舞踊の生を見ることができる恒例の振付構成なしのノンコレオグラフプログラムです。舞踊手が楽団に曲を注文し、あたかも村の結婚式のごとく自由に唄と踊りを展開します。
 

http://www.folklor.com/ensembles/1996lucnica/lucnica.htm

スロバキアにナズドラビエ
山 田 雄 一

 私とスロバキアの踊りとの出会いは、93年に来日した国立スロバキア民族舞踊団が初めてでした。当時チェコとスロバキアが別れた事さえ知らなかった私は、そのステージの宝石箱をひっくり返したような華やかさに唯々魅了され、その感動は日に日に心の底に積み重なっていきました。
 そして、自分の心に貯まったスロバキアの思いを胸に、去年の6月初めてスロバキアを訪れました。爽やかな気候、どこまでも続く草原、素朴で温かい人たち、それは自分が忘れてしまっていたお金では決して買うことの出来ない豊かさでした。あの感動はそういう風土や生活にフォークロアが根付いているからなのだ!と感じさせられました。ツアーの仲間たちからは、自分たちの最期はミヤバの大地に集い、ドクルトゥの音楽を聴きながら安らかにこの地に眠りたい、と言う冗談が出たほどです。
 私は今、世界中のフォークダンスを踊っていますが、自分の中でスロバキアが占める範囲が大きくなっています。いつの日か、先ほどの冗談が本当の事になってしまいそうな、そんな魅力的なスロバキアにナズドラビエ(乾杯)!と大声で言いたいのです。
 1996.02.01 
 

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